【書評】イノベーションのジレンマ

イノベーションのジレンマ 増補改訂版 (Harvard Business School Press)

イノベーションのジレンマ 増補改訂版 (Harvard Business School Press)

 

 

いわゆる"大企業”(本書にならって以下、実績ある企業と記載する)が一方的に悪いわけではない。勿論、ここで言う悪いというのは道徳的な良し悪しに関してではなく、市場経済での勝ち負けに関してである。実績ある企業が気づいたときには時すでに遅しなのである。誰に負けるのか。その市場*1のシェア二番手でも三番手でもない。もともとその市場にいなかったはずの"新規参入企業"である。実績ある企業がシェアを占める上位の市場*2よりも下位の市場から新規参入企業が徐々に侵食し、実績ある企業に対する需要を奪うのだ。

株主からの期待に応え、市場における企業のポジションを維持するためには継続的に売上を上げ、利益を獲得していく必要がある。単純に現状維持で済む話ではなく、その市場の需要に耐えうる、且つ他社を凌ぐ技術やサービス品質を提供していかなくてはならない。そのためには利益率を上げていき、企業として成長していく必要がある。そうなると、実績ある企業はおのずとより大きな売上と利益をもたらす上位の市場へと移行する。いったん上位の市場に移行すると、もう後戻りはできない。下位の市場へ戻ったところでその企業を成長させるだけの利益が得られないからである。

その空きが出た下位市場に登場するのが新規参入企業である。初期の段階では扱う技術やサービス品質は比較的低性能であるものの、価格は抑えられていることが多い。性能面に関しては技術的知見を蓄積し品質改善を重ねていくことで、やがてその市場の需要を満たす程度の水準に到達する。求められる性能が同程度であるとき、当該性能はその技術やサービスを選択する指標ではなくなってしまう。価格が次の選択軸になるのである。性能が同程度のものを担保できているのであれば、無論低価格のものが選択される。実績ある企業はその市場の期待、すなわち顧客の期待に応えようと既存の技術やサービスの品質を向上させるために経営資源、いわゆるヒト・モノ・カネを集中的に投入する。それに伴い、技術やサービスの価格は新規参入企業のそれに比べ割高になってしまう。顧客の耳に熱心に耳を傾け、顧客の望む製品を作り上げたはずなのに、蓋を開けてみると新規参入企業に市場でのパイを奪われてしまっているのである。なぜこのような事態となるのか。新規参入企業にあって、実績ある企業に欠けているものがあるのだろうか。技術力だろうか。市場での実績を考えれば、むしろ技術力は新規参入企業と同等、もしくは上回るレベルにあると言っていい。経営判断のスピードだろうか。確かに実績ある企業の方が新規参入企業に比べ組織的に小回りがききにくいというのは想像に難くない。しかし、実績ある企業としてはこれまでの実績から予測しうる事柄を網羅し、売上や利益の見込みを立て、慎重に戦略を立てなければならない。安易に失敗できる環境に無いのである。顧客の意見に忠実であったにも関わらず市場で大敗を喫し、気づいたときには下位市場に戻ることもできない。実績ある企業の抱えるジレンマがここにある。

そもそも実績ある企業と新規参入企業の両者では経営戦略が根本的に異なる。前者は上述したように既存の顧客を満足させるために技術やサービスの品質を高めていく。本書ではこれを持続的技術と読んでいる。一方、後者は自分たちの技術やサービスにニーズが有るかどうかを自分たちですら把握できていないのである。これまで世に無かったものをリリースし、顧客が気づいていない価値を提供することで市場での支配権を獲得しうる。これを破壊的技術と呼んでいる。技術向上のペースは、市場での期待値を上回る可能性が往々にしてある。特に持続的技術の場合、基本的には今ある技術をベースにして信頼性や利便性を高めるが、市場の求める水準を超過し、過剰品質になるケースも少なくない。一方、破壊的技術の場合は技術的な真新しさというよりは顧客の予想し得ない用途での製品やサービスを提供することで価値を生む。上述したように市場の期待を満たす最低限の品質を保証し、価格を抑えることができる。新規参入企業は実績ある企業よりも企業規模としては比較的小さく、低価格でも十分利益を上げることのできるコスト構造を有している。

実績ある企業に勝ち目は無いのだろうか。上述したように根本的に戦略を見直さない限り勝ち目はない。そもそも顧客自体が気づいていない価値をもたらすような新しい技術がテーマになるような市場において、既存の顧客の意見をもとにした技術やサービスが勝つ可能性は極めて低い。当該市場に適した戦略を打つことのできる組織を構成する必要がある。本書では、組織の能力は資源(ヒト・モノ・カネ)と価値基準*3で決定されると述べられている。実績ある企業はこれまでの成功体験をもとに各業務が標準化され、価値基準や業務プロセスが従業員全体に広く共通認識化されている。そのため、同じような問題が発生したときには対処しやすい傾向にあるが、これまでの経験では賄えないような新しい問題に対しては苦戦を強いられがちになる。一方で新規参入企業は組織が比較的初期段階にあり、価値基準やプロセスが成熟しきっておらず、組織の能力はおもにそこに所属する従業員に左右されやすい。その分組織としての柔軟性は比較的高く、実績ある企業に比べて新しい問題に対処しやすい。

組織を再構築するにはいくつか方法が考えられる。他企業を買収したり、スピンアウト組織を設立したり、既存の事業部門を横断したチームを編成したりするなどの方法がある。どのような方法を取るべきかはまずターゲットにする市場を考え、現在の組織に何が不足しているのかを把握し、その組織再構築により何を得たいかによって異なってくる。例えば他企業の価値基準やプロセスを取り入れたい場合、当該企業を買収したとしても事業部門は統合すべきではない。統合してしまうと買収先の価値基準やプロセスが維持されないためである。求める価値基準やプロセスを維持できる組織単位で業務を遂行させるべきである。

破壊的技術が市場にもたらす変化にうろたえることなく、実績ある企業が新規参入企業に対抗していくためには、ターゲットとする市場に最適な規模の組織に対し、既存の組織とは独立した価値基準やプロセスのもとで事業運営を任せることが重要である。そして、目先の利益を優先し失敗を恐れるような方法ではうまくいかない。初期の努力は学習の機会と捉え早く失敗し、データをもとに軌道修正していくような俊敏性が求められる。

 

*1:本書ではバリュー・ネットワークと読んでいる。

*2:ここではその市場での売上規模により、上位、下位と区別する。

*3:技術やサービスの性能指標の順位付けやコスト構造を決定する際の基準。